琵琶湖は『万葉集』に数多く歌われている。かつて天智(てんじ)天皇が湖岸に大津京を@営んだくらいだから、天智天皇の同時代人にとっても、その後の万葉歌人にとっても、《 》は重要な歌材であつた。
天智天皇が死去したとき、皇后倭姫王(やまとひめのおおきみ)がつぎの挽歌(ばんか)を詠(よ)んでいる。
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| A |
鯨魚(いさな)取り 近江の海を 沖放(さ)けて 漕(こ)ぎ来る船 辺(へ)付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ
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情景としては、琵琶湖の岸辺に夫を失った女が立って沖のほうを見ている。沖合い遠くに船が見え、こちらに漕いでくる。その船に女は胸のうちで、櫂をひどくはねないでおくれとねがう。沖のほうでも岸近くでも櫂をひどくはねないでおくれ、亡(な)き夫がいつくしんでいた水鳥たちがおどろいて飛び立ってしまうから。 |
| しみじみといい挽歌だと思う。と同時に、千三百余年昔の琵琶湖の風景が見えてくる歌だ。「いさなとり」は「淡海(近江)の海」や一般に「海」「浜辺」にもかかる枕詞(まくらことば)であって、直接に鯨なり魚なりを意味するものではないけれども、この長歌のなかの船はたぶんA漁をしている船なのだろう。船遊びとか、物を運ぶ船ではあるまい。そして、この日の琵琶湖は、波立ちのない静かな湖水であっただろう。静かであればこそ、櫂で湖面をはねないでほしいと、亡夫のためにねがっている。 |
高市黒人(たけちのくろひと)は持統(じとう)・文武(もんむ)両朝にB仕えた人で、旅の歌の多い歌人である。琵琶湖を船でC渡る旅もしていたようで、こんな歌がある。
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| B |
磯(いそ)の崎漕ぎたみ行けば近江の海八十(やそ)の湊(みなと)に鶴(たづ)多(さは)に鳴く
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琵琶湖の岸辺近くを船に乗って行くと、湖のあちらこちらにある港々に鶴(つる)がたくさん鳴いている、という情景を詠んだ歌だ。 |
琵琶湖には多くの港、船着き場があったということである。そういうところに鶴 −ツルをふくめて白い大きな水鳥のD総称− が寄りあつまって鳴いていたのだ。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)にも同様の歌がある。
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| C |
近江の海湊は八十をいづくにか君が船泊(は)て草結びけむ
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この歌にも琵琶湖に港の多いことが歌われている。たくさんの港のうちのどの港であなたの乗った船は今晩停泊しているのであろうか、という恋の歌である。 |
| 琵琶湖は山奥の湖ではない。人びとの暮らしと深くかかわってきた湖だ。かつて湖岸に都が営まれていたように、政治にも文化にも染まってきた湖である。人間の歴史と共にあったのが琵琶湖なのだ。もちろん歴史以前の琵琶湖(形態や位置をさまざまに変えてきた地質年代の琵琶湖)はあったけれども、琵琶湖の風景をつくってきたのは人間の歴史であり、人間の心であつた。 |
| (高田 宏(たかだ ひろし)の文章による。) |
| (注) |
挽歌=人の死を悲しんで作った歌。
櫂=水をかいて船を進める道具。
Cの歌=筆者は柿本人麻呂の歌としているが、作者はわからないという説もある。 |