2006年度 東京都公立高校入試問題 50分
( 国 語 )-5
書式の関係で横書きになっています。
http://www.tsukue-no-mae.net
(わたなべ)
渡部  孔子が実際に言った言葉がわかるわけですか。
白川  ええ、わかります。僕は『論語』を読むと孔子様とお話ができる(笑)。
(3)渡部  それは楽しいですね。なるほど、『論語』の中から孔子の直接言った言葉だけを読むという読み方があるんですね。それによって孔子の実像があらわになってくるわけですね。
白川  そうです。この「君子は多ならんや。多ならざるなり」というのは、僕は、孔子がちょっと嘆くような調子で言っておるのだと思う。博学であるとか、多能であるとか言われるが、そんなことではないのだよ、と。 そう思うのは、その直前に「吾れ少きや暖し。故に鄙事に多能なり」という部分があるからです。孔子は 賎しいことに多能なのだよ」と言っているわけ。そして「君子は多ならんや。多ならざるなり」と言って、だめを押している。これだけ繰り返して言うという言い方、これは答えの仕方として普通はやりません。ここにはちょっと孔子の顔が出ているなというふうに思います。
渡部  (4)いろいろなことができるのだけども、それは自分の本意じゃないんだということですね。これはおもしろいですね。
白川  『論語』はおもしろい本ですよ。『論語』に書いてある孔子の言葉にもせよ、弟子の言葉にもせよ、あの問答があれだけのものであるはずはない。私たちがこうしてしゃべっているように、二時間も三時間もしやべりあげた挙げ句、結論として出した言葉が語録としてあそこに入っているはずです。この対話の背景には数時間にわたる討論があったと見なければならない。その結論を、言わば格言的に集約したものが『論語』です。だから『論語』を読むときには、それの基礎になっている何時間にもわたる問題の領域というものをさかのぼって見ていかなくてはなりません。そして、その結論としての言葉を眺めてみる。(5)そうすると、その言葉の本当の内容が理解できるということになるわけです。
(白川静、渡部昇一 「知の愉しみ 知の力」による)
 
 
B
 孔子は実にたくさんのことができた。社会の働き手がすることなら、農工のことでも大体はやってのけたのではないか。中島敦(なかじま あつし)は、孔子の弟子子路(しろ)を描いた小説『弟子』の中で、子路の誇る武芸においてさえ孔子の方が上だった、と書いている。ただ孔子においてはすべての能力が万遍なく発達していて、全体の中にのみこまれているから、個々の能力は目立たないのだ、と中島敦はいう。
 しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意の各々(おのおの)から肉体的の諸能力に至る迄(まで)、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀さが全然目立たない程、過不足無く均衡のとれた豊かさは、子路にとって初めて見る所のものであった。*闊達自在(かったつじざい)、些(いささ)かの道学者臭も無いのに子路は驚く。此の人は苦労人だなと直(す)ぐに子路は直観した。可笑しいことに、子路の誇る武芸や*膂力(りょりょく)に於(おい)てさへ孔子の方が上なのである。ただ平生それを用ひないだけのことだ。
(中島敦「弟子」による)
 わたしは中島敦の描く子路が好きで、この小説は何度読んだかしれないが、この子路の目から見た孔子様こそ、呉(ご)の大宰「ヒ」(ひ)が見たものであろう。  
 −  夫子は聖者か、何ぞそれ多能なる。
 ここには、孔子の偉大さへの*讃歎(さんたん)がまずあって、その偉大さがどういうものかわからないから、この聖と多能の対比で問うたのであろう。いい質問であり、それがわかったから孔子のあの答があったのだと思われる。質問がよくなければ、いい答は出てこない。いい答はいい質問にひびくようにして出てくるのだ。
(中野孝次 「中野孝次の論語」による)
〔注〕 子貢(しこう) − 孔子の弟子。
太宰(たいさい) −役職名で、Bの文章で「呉(ご)の大宰「ヒ」(ひ)と表され      た人物。※「ヒ」は「喜否」で一文字の漢字ですが、記載できないため、「ヒ」と記載しています。
聖者  − 知徳に非常に優れ、尊敬される理想的な人。
餘事(よじ) − 余力ですること。
闊達自在(かったつじざい) − 物事にこだわらず、思いのままの様子。
膂力(りょりょく) − 筋肉のカ。腕力。
讃歎(さんたん) −  深く感心してほめること。
 
[問1]  (1)孔子(こうし)はなんでも知っているとあるが、この言葉に相当する一文を、Aの対談中に引用されている論語の書き下し文の中からそのまま抜き出して書け。
 
[問2]  (2)君子は多ならんやり多ならざるなりとあるが、Bの文章中で中野孝次が、呉の大宰の言葉と孔子のこの言葉との関係について述べている箇所がある。その関係について次の内のようにまとめるとき、(  )に当てはまる最も適切な言葉をBの文章中からそのまま抜き出して書け。
 孔子の味わい深いこの言葉は、呉の大宰の(  )して出てきた答えである。
 
[問3]  (3)渡郡の発言は、それまでの白川さんの発言をどのように受け止め、どのような意図で発言したのかを説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  論語には美しい言葉に直して品格の高い文章にしたものが多いという白川さんの分析に共感し、さらに詳しい論理的な説明を求めている。
イ、  論語を読むと孔子自身の言葉かどうか分かるという白川さんの解釈に興味を抱き、本当の孔子に迫る内容へ話を展開させようとしている。
ウ、  論語をとおして孔子と会話できるという白川さんの発言を不思議に思い、真実かどうかを確かめようと具体的な事例を知ろうとしている。
エ、  論語の議論には内容をこじつけたものもあるという白川さんの意見に賛同し、孔子についての自分の感想を滅べるきっかけを作っている。
 
[問4] (4)いろいろなことができるのだけども、それは自分の本意じゃないんだということですね。とあるが、Bの文章中に引用されている中島敦の小説『弟子』の中にも孔子が「いろいろなことができるのだけれども、それは自分の本意じゃない」と思っているのに弟子の子路が気付いたことを述べた一文がある。その一文をそのまま抜き出して書け。
 
[問5]  (5)そうすると、その言葉の本当の内容が理解できるということになるわけです。とあるが、白川さんがこのように述べたわけとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  論語の内容を把握するには、一つ一つの言葉に正確な解釈が必要なので、漢文の基礎的な力を身に付けることが大切だと考えたから。
イ、  論語の隠れたおもしろさは、長時間の会話が詳細に記録されているので、初めの話題から結論まで一読でたどれる点にあると考えたから。
ウ、  論語を読む喜びは、多くの時間を費やした討論の結果の集約であるのを念頭に読むことで、孔子の素顔を感じることだと考えたから。
エ、  論語の言葉に込めた孔子の本意を理解するには、その言葉を語るに至った、長い年月の歴史的な背景を学ぶことが必要だと考えたから。