2006年度 東京都公立高校入試問題 50分
( 国 語 )
書式の関係で横書きになっています。
http://www.tsukue-no-mae.net
 次の各文のをつけた漢字の読みがなを書け。
(1) 教室の床をいて新入生を迎える。
(2) 心を込めて栽培したトマトが赤く色づく。
(3) 地域を循環するバスが満開の桜並木を走る。
(4) 初夏の風に吹かれて、木々の青葉がれる。
(5) 日ごろからの鍛錬の成果が試合で発揮される。
 
(1) いて 2点
(2) 2点
(3) 2点
(4) れる 2点
(5) 2点
/10点
解答・解説
(漢字・語句)
 次の各文のをつけたかたかなの部分に当たる漢字を楷書(かいしょ)で書け。
(1) 体力測定でハンドボールをげる。
(2) 美しい紅葉を求めて野山をタンショウする。
(3) 新校舎を建設するためのザイゲンが確保される。
(4) 前夜からった雪で、窓の外は一面の銀世界だ。
(5) 主人公が旧友と感動の再会をする場面はアッカンだ。
 
(1)   2点
(2) 2点
(3) 2点
(4) 2点
(5) 2点
/10点
解答・解説
(漢字・語句)
 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。 (*印のついている言葉には、本文のあとに(注)がある。)
 
 家の中はしんとしている。父も母も出かけているのだろうか。わたしは起き上がり、冷たい水を飲むために部屋を出た。そういえば、今度の日曜も自転卓の練習よ、と母が言っていたことを思い出した。 五十歳を過ぎた母が、自転車に乗れるようになりたいと言い出したのは、この街に引っ越してきてからだった。その頃(ころ)、我が家ではいろいろなことが大きく変わろうとしていた。長年勤めた会社を辞めて独立した父が、この街で新しい事業を始めたのだ。それまで住んでいた家を売って事業資金に充(あ)て、わたしたちは父の会社の近くに小さな部屋を借りて住むことになった。
 住み慣れた土地を離れ、生まれてから一度も行ったこと
のない場所に住むというのは、なんと心細い気持ちなのだろう。引っ越す部屋を最終的に決めるという日、両親と弟と四人で、初めてこの街に下り立った。電車が大きな川を渡ると、窓の外の風景は突然なじみのないものになった。
 (1)新しくできた駅の、まだコンクリートの色が白いプラットホームに風が吹き抜けていった。
 引っ越した翌口から、目まぐるしい日々が始まった。母は父を助けて経理の仕事をするため、夜間の経理学校に通いながら、昼間は会社でともに働いた。朝早くから夜遅くまで、ふたりは働き通しだった。弟はすでに独立して一人暮らしをし、わたしも深夜まで残業して帰らない。家族の姿を家で目にする機会は急速に減り、両親と話をする時間もほとんどなくなっていった。
 ときおり交わす朝食の会話の中で、母の通う経理学校や父の会社が、家から自転車で行かれる距離であるということをなんとなく聞かされていた。自転車があればねぇと、母は言うともなしによく呟(つぶや)いた。そしてある日、ついに自転車を買ったと告げられたのである。
「ええっ、もう?」
 わたしは驚いて言った。
「だって、練習を始めなくちゃ。」
「ちょっと待ってよ。危ないわよ。やめたはうがいいんじゃない。バスだってあるでしょう。」
「バスは遠いもの。」
 乗ってしまえば、バスのはうがずっと早い。
「そりやそうだけど、パパと一緒に行きたいのよ、自転車二台、連なって。」
 母は嬉しそうだった。
 道端の雑草にうっすらと土埃(つちぼこり)が積もっているようなこの街の中で、家のすぐ近くにある細長い公園だけは唯一、心和む空間だった。公園といっても、*グリーンベルトに近いようなものである。服を着替えると、わたしは部屋の窓を大きく開け放ち、公園の方を眺めた。菜を青々と茂らせているあの木の下あたりで、母は父に助けられながら細い道を行ったり来たりして自転車を練習しているはずだ。
 
「いいか、まだだぞ、しっかり前を向いて!」
 小学校三年の夏休み、家の近くの公園で自転車を練習した。父の声が背中から飛んでくる。荷台をしっかりとその両手で支えられて、自転車は辛(かろ)うじて立っていた。
 (2)ギュッとハンドルを握り締め、グイと前を見つめた。よし、いまだっ。掛け声とともに強くペダルを踏み込んだ。ざざっと父の運動靴が土を蹴(け)る音がする。よろよろとおぼつかない動きで、自転車は前に進み始めた。
 怖がらないで、もっと漕(こ)いでスピードを出せっ。ダメダメ、手の力を抜かなけりゃ。そう、大丈夫、押さえているからな、転ばないからな。そうだそうだ、いいぞ、頑張れ。
 必死でペダルを踏んだ。
 手を放さないでっ、絶対放さないでよっ。
 大声で叫びながら百メートルほど先のイチョウの木に向かって突進する。どうにかこうにか木の下まで行き着いても、今度は方向転換がまた大変だ。ペダルが足から離れそうになり、そのたびにハンドルに力が入って右へ左へぐるんぐるんと曲がりそうになる。怖い。
 腕の力を抜いてっ。緊張した背中に父の声がかかる。
 ようし、思いきって力を抜くぞ。
 するとペダルは一気に早く回転するような気がした。そして次の瞬間、ふわりと軽くなった。うわあ、どんどん行く、どんどん行く、お父さーん。
 振り返ろうとして、はっと気がついた。いま一瞬目の端に飛び込んできたあの人影はなに?まさか……。自転車は再びイチョウに差し掛かった。木の陰に、手を腰に当て二コニコしながら立っている人がいる。お父さんだ、手を放したんだ!
 そう思った瞬間、わたしは自転車ごと横倒しになって地面に滑り込んだ。
 したたかに股(もも)を打って泣きじゃくりながら、乗れたんだよ、もも子ひとりで走れたんだよ、と言う父の声を聞いた。
 (3)「わたし、乗れたの……?」
 涙の下から恐(おそ)る恐(おそ)る問うと、そうだよ、もう支えなしで乗れるんだよ、と答える笑顔が目の前にあった。

 後ろで支えてもらっているときの、振り返りたくてもそうしてはいけないような、ちょっと心細いような気持ち、それでいて温かい安心感に包まれたような気持ち。母もいま、臙脂色(えんじいろ)の真新しい自転車にまたがって、緊張に顔を紅潮させていることだろう。明日は自転車で出勤できるだろうか。
 高齢で独立した父の仕事がいまどういう状態にあって、なこが大変なのかということに、わたしはあまり関心が向かなかった。新しい会社にすら、行ってみようという気持ちにならない。同じ屋根の下で暮らしていても、わたしも働いている一人前の人間なのだという気負いがあった。いつもどこかで気になりながら、日々は自分の仕事の刺激に押し流されるようにして過ぎて行き、親という存在に思いを馳(は)せることが面倒になっていた。わたしは、家族に背中しか見せなくなっていた。
 父は自分の会社を持てたことを、ことのほか喜んでいるように思えたりだが、母が夜中にふと目覚めると、布団(ふとん)の上に座ってひとり煙草(たばこ)を吸っている姿がよくあったという。闇(やみ)の中で、父はなにを思っていたのだろうか。暗い塊のように、じと動かぬその背中を見つめながら、母はどんな気持ちだったのか、わたしたちは互いの背中をただ見守ることで精一杯だった。
 しかしそうであったとしても、背中を支えてくれる手の感触を、わたしはどこかで感じていた。倒れぬように、後ろからしっかり支えられ、グイと力強く自転車が押し出される。自分一人で意気揚々とペダルを漕いだつもりでも、実は見えない家族の手で、外の世界に押し出されていたのだろう。
 次の日、両親は朝早く会社に向かった。母は自転車用に自分で作ったコットンのパンツに、濃いピンクの*ペイズリー柄のオーバーブラウスを着て準備万端だった。父は薄茶色の作業用ジャンパーだ。勤め人だったときに銀座の*テイラーであつらえた、艶(つや)やかな布地のスーツはーもうほとんど手を通されることがなかった。が、そのジャンパーは父に穏やかに似合っていた。
 (4)わたしは窓から首を突き出して下の道路を見つめた。やがて自転車を連ねた二人が玄関から出てきた。母が呼吸を整えてぐっとペダルを踏み込んだ。静かに臙脂色が動き出す。それを待って父の古びた黒が発進した。早朝の澄んだ陽射(ひざ)しの中に、二人の背中はゆっくり並んで遠ざかっていった。
(光野桃「背中」による)
(注) グリーンベルト ― 緑道、細長い緑地帯。
ペイズリー ― 曲線模様の一種。
テイラー ― 主に紳士服などの洋服屋、仕立屋。
 
[問1]  (1)新しくできた駅の、まだコンクリートの色が白いプラットホームに風が吹き抜けていった。とあるが、この表現から読み取れる「わたし」の様子として最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  新しく仕事を始めた父のことをまだこれといった魅力もない駅の印象と重ねて、協力する意欲もわかないでいる様子。
イ、  家族に起きている変化に自分が関係してこなかったことを未完成の駅の印象と重ねて、どこからかかわるべきか悩んでいる様子。
ウ、  これまで勤めていた会社を父が辞めてしまったことを何もない殺風景な駅の印象と重ねて、納得できないでいる様子。
エ、  住み慣れない土地でこれから始まる生活を人気のない寂しい駅の印象と重ねて、漠然とした不安を感じている様子。
 
[問2]  (2)ギュッとハンドルを握り締め、グイと前を見つめた。よし、いまだっ。掛け声とともに強くペダルを踏み込んだ。ざざっと父の運動靴が土を蹴(け)る音がする。とあるが、この表現について述べたものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  父の熱心な指導を受けながらも上達できないでいる 「わたし」とそのことに対していらだつ父の姿を、誇張して印象的に表現している。
イ、  緊張しで練習に取り組む「わたし」と気合いを入れて教える父の動きをすばやくとらえて描くことで、生き生きと躍動的に表現している。
ウ、  熱心に努力する「わたし」と「わたし」に振り回されながらも粘り強く教えている父の姿を、様々な角度から写実的に表現している。
エ、  自転車を練習し続ける「わたし」とその「わたし」をほほえましく感じ始めた父の様子を、時間の経過とともに客観的に表現している。
 
[問3]  (3)「わたし、乗れたの……?」涙の下から恐(おそ)る恐(おそ)る問うと、そうだよ、もう支えなしで乗れるんだよ、と答える笑顔が目の前にあった。とあるが、この表現から読み取れる「わたし」の気持ちに最も近いのは、次のうちではどれか。
 
ア、  本当にひとりで乗れたのかを父に確かめずにいられなかったが、父のやさしい表情からひとりで乗れたことを実感して喜ぶ気持ち。
イ、  手を放さないでとあれだけ頼んでおいたにもかかわらず、父が手を放したことを不満に思うとともにその理由を知りたいと思う気持ち。
ウ、  実際にひとりで乗れたわけではないのに、泣いている自分を励ますために父はひとりで乗れたと言っているのではないかと疑う気持ち。
エ、  思わず泣いてしまったがいつまでも泣いていてはいけないと思い直し、父に話しかけることによって痛みをまぎらそうという気持ち。
 
[問4]  (4)わたしは窓から首を突き出して下の道路を見つめた。とあるが、「わたし」が「窓から首を突き出して下の道路を見つめた」わけとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  父や母に冷たくしてきたことに気付いたものの、やはり前向きに生きる二人を見送ることくらいしか自分にはできないと思ったから。
イ、  闇の中で何か物思いにふけっていることがあると母から聞いた父のことが気になり、ときには出かけていく姿を見てみようと思ったから。
ウ、  見慣れていたスーツとは違う作業用ジャンパーを着た父の姿と母の自転車通勤用の服装に興味があって、一目見たいと思ったから。
エ、  父と母が自転車を連ねて出勤するのを見送ることで、母が自転車に乗れるようになったことを自分の目で確かめたいと思ったから。
 
[問5]  この文章では、繰り返し「背中」という言葉が使われているが、「背中」という言葉に対する「わたし」の思いを四十字以内でまとめて書け。なお、「、」や「。」などもそれぞれ字数に数えよ。
 
[問1] 5点
[問2] 5点
[問3] 5点
[問4] 5点
[問5]
5点
/25点
解答・解説 類似問題
(小説・随筆)
 次の文章を読んで、あとの各間に答えよ。(*印のついている言葉には、本文のあとに[注]がある。)
 
 「書は美術ならず」という説に対して、東京美術学校(現・東京芸術大学)をつくった岡倉天心(おかくらてんしん)は、「書は美術ならずの論を読む」と題して、書は文字の大小、配列、形を工夫するのだから美術であると反論しました。 これが現在のごく普通の書の理解だと思われます。 (第一段)
 文字には、「大」の字の右上に点を打つと「犬」、下に点を打つと「太」というような規範があり、その規範に従って字を書きます。ある人は点を遠く打ち、またある人は横画を長く書くというような個人的な癖もあります。ここに書が一つ一つ異なった顔立ちをもつ棍拠があり、この個人的な作者の書き癖の代わりに、美的工夫を書に忍ばせることもでき、そこに書の美が生まれる、という考えが現在の最も一般的な考え方でしょう。 (第二段)
 「美的工夫」というと、歴史的な規範に沿った表現がよいという考え、作者の企てに従って、規範からはみ出し歪(ゆが)める方がよいという考え、あるいは、規範に沿ったり、作者が*恣意的(しいてき)に歪めるよりも日常の自然な書きぶりがよい、という考えが出てきます。現在の書は、この三者のいずれかの立場に立って制作されているとも考えられます。 (第三段)
 (1)しかし、この「規範+美的工夫」という考えには落とし穴があります。もしも文字が規範に従って書くだけのものであるなら、いつまでも規範に従って書かれ続けますから文字が誕生した時からその姿は変わるはずがありません。しかし実際には文字は歴史的にどんどんその姿を変えてきました。この事実を考慮に入れると、「規範+美的工夫」というように文字が書かれて来たとするのも無理があるようです。 (第四段)
 詩句を書く作者というのは文字の規範に振り回されているだけの客体ではありません。作者は書かねばならないという切実な何かをもっており、それを表現するために、やむをえず規範に従います。だが、規範にも従いつつも、絶えずその規範をも超えて行こうとする力を秘めた表現の主体です。 このカが文字の姿を、例えば中国の殷(いん)の紀元前一四〇〇年頃(ころ)に甲骨文の姿で歴史上に生まれた時とは全く異なった姿にまで変革してきました。 (第五段)
 なぜ、人間は文字、本当は言葉、を書くのかという観点がこの「美的工夫諭」には脱(ぬ)け落ちています。「規範+美的工夫」によって書が生まれるという考えは一見もっともらしいが、実は素朴な理論にすぎません。 (第六段)
 この「美的工夫諭」は、「書は文字の美術論」へと逸脱していくことになります。文学は文字の意味内容に重心を置いた言語芸術だが、書は文字の視覚形象に重心を置いた視覚芸術だという説が、西洋美学者・井島勉(いじまつとむ)によって唱えられました。書は「文字の美術」、さらに拡張して考えれば、書は「文字のデザイン」ということにもなります。はたして書は「文字の美的工夫」の延長線上に考えられる「文字の美術」「文字のデザイン」なのでしょうか。 (第七段)
 これに対して、中国文学者の吉川幸次郎(よしかわこうじろう)は、「書を書く場合、点画(劃(かく))の結合が言語として指示する方向を裏切ってはならない、わざと裏切る場合には裏切るだけの自信が自覚的になければならない」という表現で、「文字の美術」の説には書にとって最も重大事であるべき言葉の問題がすっぽりと脱け落ちていることをはっきりと指摘しています。「書は文字の美術」という説は、なぜ書は言葉を書くのか、あるいはなぜ言葉を書いた場に書が生まれるのかという、言葉と書の関係の問題に入り込むことができず、書にとって最大の問題が不問にされているところが、致命的な欠陥です。 (第八段)
 書は文字の「美的工夫」+「線の美」、もしくは「文字の美術」+「線の美」というのが、現在の最も一般的な考えです。昭和に入ると書道家・鮫島看山(さめじまかんざん)という人が「書は文字と云(い)ふ素材を借りて作者の主観を表現するところの線芸術である」と宣言しました。 (第九段)
 「線の美」という考えのどこが間違っているのでしょうか。それは文字を構成する「点と画(劃)を「点と線」といってしまったことです。例えば、「大」と書いた時の一点一画は、決して野放図な点と線ではありません。文字が誕生した時から歴史的に累積した書き方を踏まえた上での、「大」という文字を構成するための、否(いな)、文字の一部であるところの点と画にはかなりません。したがって、「大」の字を三本の線からなるといっても、実際には、第一画の横画は右上がりに書かれるのが基準であること、そこには、起筆と送筆と終筆という三つの単位をもって書かれること、第二画は「左はらい」といわれるような先端に行くに従って尖(とが)る形状をもつのに対して、第三画は「右はらい」と呼ばれる先端に三角形の力のためとはらいからなる形状を備えているものであることが前提とされています。「大」の字は左右対称であると大まかにいうことがありますが、その実は決して左右対称などではありえないことは共通に理解されています。 (第十段)
 文字を構成する「点と画」を見失い、「点と線」といってしまった原因は、書を「文字を書く」と考えたところにあります。本当は「大しという文字を書くのではなくて、作者は何か切実な理由があって、「大」という言葉を書くのです。その「言葉であるところの文字」は点と画を積み重ねることから生まれてきます。(2)点と画は決して一般的な点や線ではなく、すでに言葉の一部である文字、否、言葉そのものをすでに微粒子的に含んでいる存在なのです。「文字を書く」という考えは、このとても大切な出来事を見逃し、したがって「書は線の美」説も不十分な考えです。 (第十一段)
 「書は文字の美的工夫」「書は文字の美術」「書は線の美」 ― いずれも、近代に入って「書とは何だろうか」という問いが浮かび上がり、何とかそれを言葉で説明しようとして、たくさんの人が考えぬいたところから生まれてきた説明です。しかし、これらの普通に考えられている説は、確かに書の一面を言い当ててはいますが、十分なものではありません。おおよそは当たっているとしても、書の美の核心部を射ぬいた言葉ではありません。それでは書はどのような芸術だと考えればよいのでしょうか。「書は言葉を書く」ところに生まれる表現です。書は文字の「美的工夫」とする説も「線の美」とする説も、ともに「文字」を出発点に措(お)いたところが誤りです。文字は言葉ですから、言葉を出発点に考えるべきです。しかもその言葉を生み出すのは書き言葉においては「書く」という行為ですから、「書く」というところ(現場)から考えるべきでもあります。(3)まさに「書」とは「書」、「書く」ことにほかなりません。書家とは、一般に考えられているような書道家の別名ではなく、文字通り、書く人、「物書き」の別名であると考える時、書というものの本当の姿に出会えるように思われます。 (第十二段)
 「私が言葉を書くしという一つの構文は、「書く」という動詞が「私」という主語と「言葉」という目的語を生み出したと考えられます。動詞「書く」によって、「私」も「言葉」もともに生まれてきます。その点で、作者も作品世界も「書く」ことの中に折り畳まれてあるといえます。書は「書く芸術である」といってよいでしょう。 (第十三段)
(石川九楊 「書に通ず」による)
[注] 恣意(しい)的に ― 自分の思うままに。
 
[問1]  (1)しかし、この「頑範+美的工夫」という考えには落とし穴があります。とあるが、「この『規範+美的工夫』という考えには落とし穴があります」とはどういうことか。次のうちから最も適切なものを選ベ。
 
ア、  書は規範に沿うのではなくて現代的な考え方を踏まえて書くのが正しいという諭は、作者の企てを見落としてしまいがちだということ。
イ、  書は規範に従って書くことで美しさを表現するべきであるという論は、書の自然な書きぶりのよさを見逃してしまいやすいということ。
ウ、  書は規範と個人的工夫で美が生まれるという論は、規範を超えようとするカが文字の姿を変えてきた点を見失っているということ。
エ、  書は規範を超えて形を変えながら書くべきであるという論は、「書はは美術ならず」という説の理解を妨げるおそれがあるということ。
 
[問2]  この文章の構成における第七段と第八段との関係を説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  第七段で前段までの内容を集約する事例を挙げたのに対し、第八段ではその問題点を指摘する事例を示して自説の妥当性を強調している。
イ、  第七段で前段までの内容を補足する事例を挙げたのに対し、第八段ではさらに具体的な事例を列挙して詳しく一つ一つを分析している。
ウ、  第七段で前段までの内容を否定する事例を挙げたのに対し、第八段ではその根拠となる事例を紹介して問題解決までの手順を示している。
エ、  第七段で前投までの内容を整理する古典的事例を挙げたのに対し、第八段では現代的事例を挙げて考え方の変化を明確にしている。
 
[問3]  (2)点と画は決して一般的な点や線ではなく、すでに言葉の一部である文字、否、言葉そのものをすでに微粒子的に含んでいる存在なのです。とはどういうことか。次のうちから最も適切なものを選ベ。
 
ア、  文字における点と画は歴史的に累積した書き方を踏まえるだけでなく、だれもが理解できるように工夫して書いたものだということ。
イ、  文字の一点一画は単に言葉を構成するだけのものではなく、作者の切実な思いが幾重にも込められて成立しているものだということ。
ウ、  文字を構成する一点一画は単なる形状ではなく、一人一人が意識して書の美をきめ細かく表現しようとしたものだということ。
エ、  文字は規範に従って書かれているだけではなく、点と画によって作者が人知れず努力を積み重ねて書き表したものだということ。
 
[問4]  (3)まさに「書」とは「書」、「書く」ことにほかなりません。 とあるが、筆者がこのように述べたのはなぜか。次のうちから最も適切なものを選ベ。
 
ア、  「書くく芸術」は文字を書くという個人的な行為の結果として、芸術的な美であると認められることを忘れてはならないと考えたから。
イ、  言葉を生み出すのは書き言葉においては「書く」という行為であり、書道家の作品には「書く芸術」の姿が具現化されていると考えたから。
ウ、  「書く芸術」は、「書く」という目的があってこそ成立するが、それは作品世界の中に溶け込んでいて見づらいものだと考えたから。
エ、  「書」は、あくまでも人間の「書く」という行為があってはじめてその人の個性や言葉が表現され、「書く芸術」になると考えたから。
 
[問5]  国語の授業でこの文章を読んだ後、「言葉を書く」というテーマで各自が身近な体験を交えて意見を発表することとする。このとき、あなたが話す言葉を二百字以内で書け。なお、書き出しや改行の際の空欄、なども、それぞれ字数に数えよ。
 
[問1] 5点
[問2] 5点
[問3] 5点
[問4] 5点
[問5]
10点
/30点
解答・解説 類似問題
(説明文・論説文)
 次のA及びBは、それぞれ「論語」に関する対談と解説文である。これらの文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印のついている言葉には、本文のあとに[注]がある。)
 
白川    公の場において「(1)孔子(こうし)は何でも知っている」と列席者が感心して*子貢(しこう)に言ったのを聞いて、孔子が自分の感想を述べる場面があります。
*太宰(たいさい)、子貢に問うて曰(いは)く、「夫子は*聖者か。何ぞ其(そ)れ多能なる。」子貢曰く、「固(まこと)に天之(これ)を縦(ゆる)して将(ほとん)ど聖にして又(また)多能なり。」子之を聞いて日はく、「大宰は我を知れるか。吾(わ)が少(わか)きや賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子は多ならんや。多ならず。」牢(ろう)曰く、「子云ふ、『吾試(われもち)ひられず。故に藝(げい)あり。』と。」(子罕篇(しかんへん)
 (現代語訳) 大宰の官の某(ぼう)が子貢に問うて、「あなたの先生は聖人でいらっしやいますか。何と多くの藝能に通じていらっしやることでしょう。」と曰ったので、子貢は、「まことに天がこれを縦して知においても行いにおいてもその量を限ることがなく、ほとんど聖人であり、又多くの藝能に通じております。」と曰って、大宰が多能をもって聖と心得ているに対して聖だから通じない所がないので、多能は聖の*餘事(よじ)であることをほのめかした。
 孔子がこの大宰と子貢との問答を聞いて、「大宰がわしを多能だというが、大宰はわしが多能なわけを知ってるだろうか。わしは少い時世に用いられないで微賎(びせん)の地位にいた。それ故多くの微細な藝能を習い覚えたのである。わしの多能なのは聖であるがためではない。成徳の君子の貴ぶ所は多能であろうか。君子の貴ぶ所はもっと重大な所にあって、決して多能に在るのではない。」と日って、自ら聖の地位におらず、又多能をもって聖とすることの誤りを示された。後で弟子たちがこの話を記した時に、孔子の弟子の牢が「先生は平日『わしは世に用いられなかったから、多くの藝能を習い覚えたのだ』といわれた」と日った。
(宇野哲人 「論語新釈」 による)
 
 ここで孔子は「(2)君子は多ならんや。多ならざるなり」と念を押すように言うております。「君子というものはむやみに物知りであるわけではない。物知りが君子であるのではないぞ。知識の問題ではないぞ」という意味ですが、これは孔子の言葉がそのまま格言になっている。いろいろ説明して納得させるというのではないんですな。もう全身全霊的に、その言葉の中に全体がうずめこまれていて、その言葉を眺めていると孔子の考えがすべて汲(く)み取れるというぐらいの深みのある言葉です。こういうのが孔子自身の言葉なんです。
 そういうような形で、『論語』を点検していくと、これは説明的である、これは大分いろいろ飾りつけをやっている、これは詭弁的(きべんてき)であるというように、すべて分別できる。孔子の言葉というのは非常に真率と言いますか、素直であり、問題の要点を非常に簡潔にあらわしています。しかも眺めていると、それがいろいろに響いてくるような言葉で答えている。『論語』の中には美文的にいろいろ飾った言葉もありますけれど、そういうものを見ていると、これは本物か、あるいは形を変えているものか、そういうことが大体わかります。
(わたなべ)
渡部  孔子が実際に言った言葉がわかるわけですか。
白川  ええ、わかります。僕は『論語』を読むと孔子様とお話ができる(笑)。
(3)渡部  それは楽しいですね。なるほど、『論語』の中から孔子の直接言った言葉だけを読むという読み方があるんですね。それによって孔子の実像があらわになってくるわけですね。
白川  そうです。この「君子は多ならんや。多ならざるなり」というのは、僕は、孔子がちょっと嘆くような調子で言っておるのだと思う。博学であるとか、多能であるとか言われるが、そんなことではないのだよ、と。 そう思うのは、その直前に「吾れ少きや暖し。故に鄙事に多能なり」という部分があるからです。孔子は 賎しいことに多能なのだよ」と言っているわけ。そして「君子は多ならんや。多ならざるなり」と言って、だめを押している。これだけ繰り返して言うという言い方、これは答えの仕方として普通はやりません。ここにはちょっと孔子の顔が出ているなというふうに思います。
渡部  (4)いろいろなことができるのだけども、それは自分の本意じゃないんだということですね。これはおもしろいですね。
白川  『論語』はおもしろい本ですよ。『論語』に書いてある孔子の言葉にもせよ、弟子の言葉にもせよ、あの問答があれだけのものであるはずはない。私たちがこうしてしゃべっているように、二時間も三時間もしやべりあげた挙げ句、結論として出した言葉が語録としてあそこに入っているはずです。この対話の背景には数時間にわたる討論があったと見なければならない。その結論を、言わば格言的に集約したものが『論語』です。だから『論語』を読むときには、それの基礎になっている何時間にもわたる問題の領域というものをさかのぼって見ていかなくてはなりません。そして、その結論としての言葉を眺めてみる。(5)そうすると、その言葉の本当の内容が理解できるということになるわけです。
(白川静、渡部昇一 「知の愉しみ 知の力」による)
 
 
B
 孔子は実にたくさんのことができた。社会の働き手がすることなら、農工のことでも大体はやってのけたのではないか。中島敦(なかじま あつし)は、孔子の弟子子路(しろ)を描いた小説『弟子』の中で、子路の誇る武芸においてさえ孔子の方が上だった、と書いている。ただ孔子においてはすべての能力が万遍なく発達していて、全体の中にのみこまれているから、個々の能力は目立たないのだ、と中島敦はいう。
 しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意の各々(おのおの)から肉体的の諸能力に至る迄(まで)、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀さが全然目立たない程、過不足無く均衡のとれた豊かさは、子路にとって初めて見る所のものであった。*闊達自在(かったつじざい)、些(いささ)かの道学者臭も無いのに子路は驚く。此の人は苦労人だなと直(す)ぐに子路は直観した。可笑しいことに、子路の誇る武芸や*膂力(りょりょく)に於(おい)てさへ孔子の方が上なのである。ただ平生それを用ひないだけのことだ。
(中島敦「弟子」による)
 わたしは中島敦の描く子路が好きで、この小説は何度読んだかしれないが、この子路の目から見た孔子様こそ、呉(ご)の大宰「ヒ」(ひ)が見たものであろう。  
 −  夫子は聖者か、何ぞそれ多能なる。
 ここには、孔子の偉大さへの*讃歎(さんたん)がまずあって、その偉大さがどういうものかわからないから、この聖と多能の対比で問うたのであろう。いい質問であり、それがわかったから孔子のあの答があったのだと思われる。質問がよくなければ、いい答は出てこない。いい答はいい質問にひびくようにして出てくるのだ。
(中野孝次 「中野孝次の論語」による)
 
 
〔注〕 子貢(しこう) − 孔子の弟子。
太宰(たいさい) −役職名で、Bの文章で「呉(ご)の大宰「ヒ」(ひ)と表され      た人物。※「ヒ」は「喜否」で一文字の漢字ですが、記載できないため、「ヒ」と記載しています。
聖者  − 知徳に非常に優れ、尊敬される理想的な人。
餘事(よじ) − 余力ですること。
闊達自在(かったつじざい) − 物事にこだわらず、思いのままの様子。
膂力(りょりょく) − 筋肉のカ。腕力。
讃歎(さんたん) −  深く感心してほめること。
 
[問1]  (1)孔子(こうし)はなんでも知っているとあるが、この言葉に相当する一文を、Aの対談中に引用されている論語の書き下し文の中からそのまま抜き出して書け。
 
[問2]  (2)君子は多ならんやり多ならざるなりとあるが、Bの文章中で中野孝次が、呉の大宰の言葉と孔子のこの言葉との関係について述べている箇所がある。その関係について次の内のようにまとめるとき、(  )に当てはまる最も適切な言葉をBの文章中からそのまま抜き出して書け。
 孔子の味わい深いこの言葉は、呉の大宰の(  )して出てきた答えである。
 
[問3]  (3)渡郡の発言は、それまでの白川さんの発言をどのように受け止め、どのような意図で発言したのかを説明したものとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  論語には美しい言葉に直して品格の高い文章にしたものが多いという白川さんの分析に共感し、さらに詳しい論理的な説明を求めている。
イ、  論語を読むと孔子自身の言葉かどうか分かるという白川さんの解釈に興味を抱き、本当の孔子に迫る内容へ話を展開させようとしている。
ウ、  論語をとおして孔子と会話できるという白川さんの発言を不思議に思い、真実かどうかを確かめようと具体的な事例を知ろうとしている。
エ、  論語の議論には内容をこじつけたものもあるという白川さんの意見に賛同し、孔子についての自分の感想を滅べるきっかけを作っている。
 
[問4] (4)いろいろなことができるのだけども、それは自分の本意じゃないんだということですね。とあるが、Bの文章中に引用されている中島敦の小説『弟子』の中にも孔子が「いろいろなことができるのだけれども、それは自分の本意じゃない」と思っているのに弟子の子路が気付いたことを述べた一文がある。その一文をそのまま抜き出して書け。
 
[問5]  (5)そうすると、その言葉の本当の内容が理解できるということになるわけです。とあるが、白川さんがこのように述べたわけとして最も適切なのは、次のうちではどれか。
 
ア、  論語の内容を把握するには、一つ一つの言葉に正確な解釈が必要なので、漢文の基礎的な力を身に付けることが大切だと考えたから。
イ、  論語の隠れたおもしろさは、長時間の会話が詳細に記録されているので、初めの話題から結論まで一読でたどれる点にあると考えたから。
ウ、  論語を読む喜びは、多くの時間を費やした討論の結果の集約であるのを念頭に読むことで、孔子の素顔を感じることだと考えたから。
エ、  論語の言葉に込めた孔子の本意を理解するには、その言葉を語るに至った、長い年月の歴史的な背景を学ぶことが必要だと考えたから。
[問1] 5点
[問2] 5点
[問3] 5点
[問4] 5点
[問5] 5点
/25点
解答・解説 類似問題
(漢文)